今私たちは皆、同じ世界の中で生きている。
それも間違いではありません。
でも日々を送る中でそう実感することはほとんどありません。むしろあの人は別の世界に生きているんだ。そう感じることの方が多いと思います。
テレビの中のスポーツ選手。ニュースで流れる紛争地域の人たち。スキャンダルを報じられる芸能人。そういった姿を見ても自分事と捉えることは稀なのではないでしょうか。
ただ、それはそれで構わないと私は思うのです。テレビや新聞などで報じられる誰かの世界は、元々違う世界だと思っているものであり、自分と比べることは多くありません。
しかし、ここ数十年で動画サイトやSNSが広く普及し、より身近な人々の世界を垣間見るようになりました。
例えば、Youtuberと呼ばれる人たちが人気になったのも、芸能人ではなく同じ一般人という親近感のある人たちが面白いことをしている、という感覚が一因なのではないかと感じます。そんな人たちの世界を動画や配信という形で私たちも垣間見ることができます。
またSNSでは、昔の知り合いや、数回会っただけの知人、友人の友人など、普通ならプライベートを知り得ない人たちの日常を知ることができます。
それら自体が悪いことだとは思いません。娯楽になったり、人との関わりを作ることができます。
けれど、同じ世界に生きていると思っていた人が、自分とはまるで違うキラキラした世界に生きているんだ、そう感じたことはないでしょうか。
Youtuberが派手にお金を使ったりすることにどこか違和感を覚えたり、かつての同級生が楽しそうに遊んでいる投稿を見て今の自分を惨めに思ったり、そんな感覚を持ったことは一度はあるのではないでしょうか。
その感覚を頑張る力に変えられるのならば何も問題はないと思います。けれどその感覚により、自分を情けなく思ったり、頑張る気力を失ったり、嫉妬などのネガティブな感情が生まれたり、他人のミスに敏感になり隙あらば引き摺り下ろそうという炎上を煽る感情が出てきたりするかもしれません。
多くの人が言う「他人と自分を比べるな」ということが、どんどん難しくなってきている世の中だと感じます。
しかし、忘れてはいけないのが、あくまで他人の世界を「垣間見ている」だけだということです。SNSやYoutuberはもちろん、周囲の噂話であっても、それは誰かの世界の「一部」であり、むしろ「上澄み」なのです。そんな上澄みと自分の世界全体を比べると落ち込むのは当然です。

人と比べるのは当たり前
今まで述べてきたような社会で、自分と人と比べてしまうのは当たり前だと思います。比べないようにするにはどこかに隠居するか、悟りを開くかしないと難しいでしょう。
これは私の意見ではありますが、比べることをやめようとするのではなく、あくまで誰かの世界の一部と比べているだけだと認識することが大事なのではないでしょうか。比べてしまうことを認めた上で、その比較は偏ったものだと自覚することが大事だと思います。
そして、自分の世界の価値は、自分で決めるということです。そういう意味では同じ世界に住んでいる人は誰もいません。誰もが自分だけの世界、価値観を持っています。その中で何を積み上げるかが、自己肯定感に繋がるのだと思います。
周囲の誰かの世界は、幸せの基準ではなく、自分の世界で生きるためのあくまで参考に過ぎないのです。
例えば、私は大人数で遊んだり、いろんな人と交流するのは得意ではないです。でもSNSなどでは、色んな人と豪華な食事をしている写真を投稿する人もいます。その時に、あの人は充実して幸せそうだから、こんな辛いことばっかりの私は生きる価値がないんだ、ではなく、あの人の生き方は多分自分には向いてないから、私は違う方向の充実を求めた方がいいかも、と考えられたらいいなあと私は思うのです。